足が伸びたら少し先を歩くことになるのかも

偶然。

偶然、半年以上前に一度だけ書いた日記が出てきた。
文章を書くといつもより少し大人になれる。
当時の私は意外にも自分のことを深く理解している人との
何気ない会話に感銘を受けていた。

兄弟もない、親戚もない私にとって離れた第三者が言葉
足らずでもこんなにも分かっているんだ、と驚いていた。

極めて冷静で、社会のことを忘れないように書き留めている。

遠回りして日が暮れてもいつかお家に帰れたらいいなと
思ってしまうとき、いち早く帰りたいとき。

編み物の本を読んでいて思った。

母は娘、息子にマフラーやセーターを編んだ。
娘は恋するあの人にマフラーを編んだ。
娘は母となり、息子は父となる。
母となった娘は子に小さな小さなカーディガンを編む。
ついでに帽子も編む。
長年の付き合いの友に子が出来た。
出産祝いには編み立てのセーターを贈った。

こうして永遠と編まれ、渡り歩いて行くのは素敵なことね、、

顕微鏡

理想が高すぎる。
子供であり続けるのは好奇心だけでいいのに。
あまりにも遠すぎるものは不可能だと諦める
ことも人生のうちなんだろうけど、心のどこかで
出来ないと思うから出来ないんじゃないか、とも
思っている夢の中の自分がどうしても消せない。

成功談ばかりではなく、失敗談をきかせてほしい。
世の中に10年前、20年前に描いた自分の理想の姿
に近づいたひとはどれほどいるのだろうか。

作ることは地獄だ、と今日思った。

自己から生まれ出る愛してやまないものだけど、
内から溢れるものはあくまでも自分に帰依するもので、
人の心に到達するものではない。
内にあり内を表層にさらけ出して良い時間は、死ぬ時。

それまでは、内から出た愛しいものを歯を食いしばって
引き離し、我の手から相手の手へ渡さなければ行けない。
そしてそうでなければ響かない。
神様は息子のイエスを自分のもとへ置かなかった。
きっと彼がどんな扱いを受けるかは知っていた。
それでも人間に渡した。

明日死んだら後悔する。

なぜか毎日それを恐怖に感じ、毎日頭に浮かぶ。
想像を超えはるかに遠くにいるんだと理解して
自分がマイクロスコープの対象物のよう。

死ぬまでに

気魄を感じる言葉を届けられる人になりたい